新光会の沿革

 新光会は難聴者団体としての歴史は我が国で最も古く、ここを母体として全難協を始めいろいろな難聴者団体が設立されてきました。

 資料によりますと、会の設立は昭和27年となっておりますが、それ以前に戦傷などで聴力を失った方々が三重大学耳鼻咽喉科で神経性難聴の手術を受けられ、退院後も互いに連絡を取り合って会合を持たれているうちに会を設立することとなり、会名を「新光」とされたのが由来であります。その後会誌が発行されるようになって、この会誌を通じて同障者に入会を呼びかけてきた結果、全国に会員が散在することとなり、地域ごとに支部も設立されて独自の活動も行われ、本部・支部の組織体系も確立して、今日の新光会として発展してきました。

 第1回の総会が名古屋市の若宮神社客殿で開催されたのが昭和27年で、これが会創立の年となっております。第1回から第3回までの総会は代表として三重にお住まいだった故静永賢道氏が務められ、第4回の総会が大阪で開催されたとき初めて参加者一同で故中川雅俊氏を初代会長に選出し、以後33年間氏が会誌の発行などを続けてこられました。然し昭和63年に高齢のため引退され、2代目会長には会員の互選で兵庫の故春名哲夫氏が選出され、春名氏亡き後の3代目は福岡にお住まいだった故本田幸男氏が選ばれましたが病気のため引退されました。その後に4代目会長として現在も滋賀にお住まいの河合重次氏が選任され、河合氏辞任の後は現在の岡村素行氏が5代目会長として頑張っております。

 新光会は法的な保護はいっさい受けていない任意団体として、50有余年連綿と続いている会であります。会の顔であります会誌「新光」も、発刊以来一度の休刊もなく、今年1月の時点で通巻683号となりました。この実績は同障団体の中でも稀有なことでありますし、会の誇りとするところでもあります。

 会は全国組織の関係で年1回の大会(総会)も西は熊本、東は東京まで、全国主要都市で開催してまいりましたが、歴史の重みは同時に会員の高齢化、自然減による会員の減少となり、現在は大阪、愛知、静浜、福岡の4支部のみとなり、大会(総会)も本部主催で行われることが多くなりました。

 NPO法人化につきましても、以前から課題として前向きに検討して参りましたが、高齢化の壁がネックとなって未だに実現しておりません。然し法人としての体制化は別として、今後も会の当初からの目的であり、理念でもあります”親睦”を重点に、難聴者、中途失聴者の憩いの場所として、会員相互の連帯の絆をより一層強め、自立共生の途を頑張って行く所存であります。